仕事の流儀 株式会社すてきカンパニー代表取締役 鈴木基博氏インタビュー Vol.1

株式会社すてきカンパニー代表取締役 鈴木基博氏。株式会社サンリオへ入社し、営業職や海外赴任をなど輝かしいキャリアを積み、その後独立し「株式会社すてきカンパニー」を設立。ご自身のキャリアやその社名の由来について聞いた。

■サンリオさんに入られてから主にどんなお仕事をされていたんでしょうか?

 1980 年新入社員で株式会社サンリオに入社し、サンリオの直営店を運営する直販部という部署に配属になりました。

その部署でGiftGateという直営店に配属、販売員、店長代理から店長という業務を経験した後、1981 年の12 月にSanrio Inc.というアメリカ海外支社に転勤になり、その後約4年弱ミッドウエストからイーストコーストまで上司と共にGiftGateというサンリオの直営店やサンリオショップを作ってきました。その後、再度、入社時の前述の直販部に戻り、日本国内でショップ運営に携わりました。

その中で、私の人生に大きな影響を与えたサンリオファンタージェンという他社テナントが入店して頂いた施設を船橋ららぽーとに設立するプロジェクトを任せて頂きました。その後、新規ブランドのVivitix(大人向けのサンリオショップ)やさんりお屋(ご当地限定サンリオグッズ取り扱い店)というショップの開発運営をさせて頂き、本当に良い経験をさせて頂いたと思っております。その後、1997 年から2007 年まで専門店営業部及び百貨店営業部という部署に配属になりました。

まず、専門店営業部とは、社外オーナー様が経営者でいらっしゃるサンリオショップまたキディランド様の様なチェーン展開している卸し先様に対する営業部門です。この部署では、地域に密着し、サンリオショップを20年近く経営していらっしゃるオーナー様から沢山のサンリオのビジネスモデルやキャラクターバライエティショップのチェーン展開の事を沢山学び習得出来ました。

その後、次の配属先が、百貨店事業部という部署で、読んで字の如く、全国の百貨店のサンリオショップを運営する部署です。

この部署では、百貨店内でのサンリオというブランドをどう維持し、継続的に繁栄出来て行くかのブランドを大きく意識して毎日仕事をしておりました。

その後、2007 年から2009 年は、株式会社サンリオファーイーストというサンリオの子会社に出向になりました。

この会社では、サンリオに関わらない他社IPやSP関係の営業を体験でき、色々な人脈や営業経験を創れたと思っております。

その後、2009年からは、再度、サンリオ本社に戻り、業務開発部に配属になりました。その部署は、サンリオキャラクターを使用したセールスプロモーションとコンビニエンスストアー(以後CVS)に対する事業展開が主業務でした。

途中から企画営業本部という部署に部署名変更しましたが、この部署でCVSの担当になったことが、今の自分の人生を決定づけたと思っております。

最終的には、この部署がサンリオにおいての最終勤務部署となります。

■キティちゃんは世界的にも人気があるというイメージが凄くありますが、そういう地盤を作られんですね

 アメリカでは、先に転勤されていた諸先輩方が築いて頂いた地盤に日本的な直営店の展開をさせて頂き、多少なりとも地盤の拡大に尽力出来たと思っております。当時、サンリショップは、アメリカでも浸透しつつあるキャラクターショップでしたが、アメリカの消費者の方々は、日本のキャラクターとは見てない方も多かったですね。そんな中で、日本的な接客やサンリオのフィロソフィーを浸透していくことが多少なりとも出来たと思っております。

■貴重な経験する事ができたんでしょうか?

 はい、もちろんです。キャラクターに関してはもうサンリオという会社でもの凄い勉強をさせて頂きました。その中でも現状の最終的な礎となっているCVSでの体験が今の弊社の業務形態の中心となっております。当時CVSでは、男性のお客様が多い中、サンリオのキャラクターだけでは弱い状況でした。そこで他社のIP、例えば、ワンピースや進撃の巨人等のアニメコンテンツの商品企画をする機会があり、多くのアニメキャラクター商品を手がけました。ここで、色々なIPの勉強が出来ましたね。また、当時、CVSは、食品、飲料が売上の主体でしたが、もっと日本文化を率先して展開することが良いのではと思ってました。そこでその次の戦略として、日本の文化をもっとコンビニエンスストアーでやるべきだと思い、アイドルを中心に色々な企画を提案しました。丁度、某CVSでAKBフェアが企画されている中、サンリオとしては、初のアイドルを中心とした「当りくじ」を企画することになり、その企画が大当りしました。この「当りくじ」は、当時500円から600円でくじを引き、その金額以上の景品が当るという物です。その後、関ジャニ∞、Kis-My-Ft2、乃木坂46×マイメロディ、NGT48×Hello Kittyの当りくじをCVSで展開することが出来ました。

■サンリオさんがそういうことをやって事を知りませんでした。

 なかなか凄い事業展開だったと思います。サンリオのIP が4割で他社IP が6 割ぐらいになった時期もありました。その時に色々な芸能事務所やIPホルダーさん達との人脈が出来ました。その人脈に現在でも助けられてますね。

■退職された後もほぼ引き継いだ形ですてきカンパニー立ち上げられたんですね。

 すべて引き継いだ形ではないですが、今の仕事の70%くらいがその時の人脈とIPで成り立ってますね。もし、CVSを担当していなかったら、今の私や弊社はないと思います。

■すてきカンパニーって会社の名前もとても良いお名前だと思います。

 すてきカンパニーという社名のきっかけは、最後の出向先から本社に戻った時の初セールスから始まってます。実は、CVSの仕事をするとき某CVSの担当セールスからスタートだったんです。その時にいつも見守って頂いた先方の役員さんがいつも「ステキ」を連発しており、その「ステキ」が社名の「すてき」となってます。セールスマンの再スタートが50歳の頃でした。

■セールスから再スタートというのは、心境的にも厳しかったと思いますが。

はい、セールスからのスタートは、かなりきつかったですね。このCVSを担当する事業部の前には、サンリオの子会社のサンリオファーイーストに2年間出向しておりました。そして、本社に戻ってきた時になかなか配属先が決まらず、結局、一セールスマンからの再出発でしたね(笑)。ちょっと落ち込みましたが、元々、楽天家だったので、逆にこの歳で一セールスマン、特に今後伸びていくCVSをやれるって、チャンス!と思ったんですね。初めて担当のCVSやベンダーさんにご挨拶に伺った時は、先方の皆様が大体20 代か30代前半の方々でした。私は、もう50 代でしたが、皆さん暖かく迎えてくれました。ただ、CVSのセールスは、通常のサンリオのセールスと違って、かなり特殊でした。企画から商談、決定、商品登録まですべて一人でやることになりました。特に商品登録が細かく、当然ながら価格や卸値、商品サイズ、商品を入れるカートンサイズ、重量や入荷日等すべて登録する必要がありました。でも、いつも助けてくれるバイヤーさんやCVSの担当者、アシスタントの方々に助けられました。これが、また、新たに最初からセールス業務を体験習得出来た、本当に良い経験でした。

■相当な作業量ですよね。

 はい、商談用の企画や資料作り、その後、商談決定からその製造管理まですべて、サンリオスタッフやCVSご担当者さん、ベンダーさんと一緒にやっていき、納品まで見届ける事が一連の業務でした。特に生産管理をしながら次の営業を行っていくので、休みなくこの繰り返しでした。

その経験があればこそ、CVS営業の細かいところまで把握できたと思います。売上も約2倍と幸運にも飛躍的に伸びました。その理由としては、とにかく自分の売上を拡大するために何が一番近道かを考えた時に、やはり、大きな売上になる当りくじの売上を拡大することだと思いましたね。当時、この当りくじは、1回500円で100本のくじ(景品)が1セットでした。上代で1セット50,000円という高単価商品が当りくじでした。その高単価商品が、1回で3,000セットのご発注を当時頂けました。上代で約1億5,000万円という金額が1アイテムとしての売上でした。私がセールスを引き継いだ時の某CVSの年間の当りくじの実施回数が3~4回でしたが、ここにトレンドを取り入れた新体系の当りくじを導入させて頂きました。トレンドとは、健康志向、アウトドアブームがあり、その当りくじとして「ビューティ&ヘルスくじ」や「アウトドアくじ」等の新企画くじをプレゼンしたところすべて決まりました。このトレンドに合わせた新企画くじは、従来のキャラクターの力にライフスタイルに合わせた景品を加えた事が、まずは、CVSのバイヤーさんに支持され、コンシューマーにヒットしました。例えば、「ビューティ&ヘルシーくじ」の上位等は、キティちゃんの体組成計やエクササイズマットやエクササイズボールでした。市場で販売されてなく、且つ500円で当るキティちゃんのこれらの景品は、キティちゃんファンのみならず、健康志向の女性の支持を得られました。その結果、年間の実施回数が、倍の8回になり、上代売上も6億円から12億円となりました。

〜Vol.2へ続く〜

※このインタビューはBANZAI 2020年冬号を再編集したものです。