仕事の流儀 株式会社アーティマージュ 代表取締役社長 浅川真次(前編)

今回、m-floの育ての親であり、自身もハウスユニット“GTS”としてアーティスト活動しながらクラブシーンをけん引し、マネージメント業を切り開いてきた浅川氏に、日本の音楽業界の変動について伺った。

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クラブシーンを共に導いてきたm-floとの出逢い

浅川さん自身GTSの活動で、これまで 19枚のアルバムを発表してきたわけですが。

「Chaka Khanのバラード曲『Through The Fire』を、あえてGTSでハウスカバーしてみたら、全国のクラブで話題となり、たちまちクラブでヒットしてavexと契約し、これまで作品を発表し続けることができました。フロアで流行らせるのはどうしたらいいかというDJの目線、その時々のムーヴメントに合ったものを常に考えて、自分なりにヒットの法則を研究して、それを追い続けてきたと思います」

m-floとの出逢いはどのように?

「1997年当時、GTSでバーブラ・ストライサンドの『The Way We Were』をカバーすることになったんです。その時既に☆Takuとは一緒に楽曲制作していたので、彼にトラックを作ってもらい来日していたセイビル・ジェフェリー ズに歌を入れてもらいました。そしたらGTSっぽくないR&Bグルーヴ感のある曲になっていたので、☆Takuに全体のアレンジも任せたんです。それで仕上がった音源を聴いたらVERBALのラップが入っていて「このラップかっこいい!」って興奮したんですね。そこで「これでR&B HIPHOPユニット作ろうよ!」と☆Takuに相談し、VERBALとも出逢いました。 でも彼は当時、ボストン大学の大学院に通っててラップでプロになる気は無かったんです」

VERBALさんはどう口説いたんですか?

「彼が日本に帰って来れるタイミングでレコー ディングをしたり、アメリカにビデオを撮りに行ったりとスムーズな音楽活動ができるように動きましたね。そのうちm-floが売れ出してきて、「学校休学しちゃえば?」と言ったんです。そしたら2年くらい休学してくれて、最終的には音楽に専念する方向に。本当に口説いてよかったなと思います」

その後LISAさんが加入し、m-flo結成と。

☆Takuからいいボーカルがいると紹介された のがLISAだったんです。歌は上手いし2人の 友人でもあったので、早速デモを作ってもらっ た中に『been so long』があって。これを聴いたときに感動してCDをリリースしなければと思い、avexに持ち込みに行きました。当初はインディーズとして発売したのですが、初回出 荷枚数が500枚から1000枚、2000枚、最終的に1万枚という感じで倍倍ゲームになっ て。想像以上の売れ行きだったので、これはプッシュしなければとなりまして、1999年4月にメジャーデビューが決まりました」

m-floと出逢い、会社を立ち上げてから裏方にも立つことになられましたが。

「実は裏方に回ったという意識は無いんです。 アーティスト達が僕と組んでくれた理由って、僕が思う現場感や考えていることが彼らと一緒だったからだと思うんです。僕自身、GTS でクラブシーンを向上させたい気持ちが大きかったから、今も表に立っている気持ちです」

アーティストの心に寄りそう浅川流のマネージメント

GTSの活動をしながら多くのアーティストをブレイクさせていく中で、マネージメントでの苦しみはありましたか?
「アーティストというのは曲を作りライブで披露するので、色んな人から常に評価され続けるという悩みと向き合っていて、その苦しみを共有しなければいけないところが大変でした。昔は24時間電話を枕元に置いて、夜中の相談にも対応しました。気持ちよく良い音楽を作ってもらうために常に動いていたので、結果として素晴らしい作品がたくさん生まれたので、支えて来てよかったと思っています」

m-floのマネージメントはどうでしたか?

「『come again』がヒットして、2ndアルバム 『EXPO EXPO』が80万枚売れた直後に LISAが脱退してしまった時は、どうなるかと思いました。彼らは3人共プロデューサーであり、 アーティストとして表に立つ人間であり裏方でもあったので、その時の衝突は仕方なかったかなと思います。結果としてLISAが抜けてしまいましたが、ちょうど海外の音楽シーンでコラボレーションが流行していたので、ボーカルを1曲ごとに変えて行くスタイルで活動して行こうということになったんです。その時にVERBALがこれはフューチャリングじゃなくて “m-flo loves Who?” だよねと名づけて、Lovesシリーズが2003年から2008年まで続きました」

PROLILE

浅川真次(あさかわ・まさじ)| 1985年、新宿2丁目「ブギーボーイ」にてDJ活動をスタートし、1992年株式会社アーティマージュを設立。m-floをはじめ、DOUBLE、SOUL’d OUT、CREAMなどのマネージメント&音楽制作を始める。1995年ハウスユニットGTSを結成し、avexよりデビュー。現在までに19枚のアルバムを発表。新木場ageHaの取締役プロデューサーとしても参画し、音楽業界多方面に関わるプロデューサーである。また、音楽制作者連盟常務理事及び日本ダンスミュージック連盟理事長としても活躍している。

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