社名で自分を追い込み!名に恥じない仕事を。「株式会社撮れ高」とは

老舗テレビ番組から最先端の生配信まで幅広く撮影する「株式会社撮れ高」の代表に、その社名にこめた思いを伺ってきました。

株式会社撮れ高代表外山さん

撮れ高とは?会社名の由来を教えてください。

撮れ高という言葉は、最近使われるようになった言葉で、売上高みたいな感じで、実際に使える素材が十分に撮れているかどうか、という表現に使う造語です。「撮れ高いいんじゃない?」と言うのは「もう十分撮れてるでしょ?」という感じですね。その「撮れ高」を社名にしたのは、自分にプレッシャーを与えるためです。

弊社では撮影する際に、背中に社名を大きく入れたTシャツを着ているんですが、それは宣伝の意味だけではなく、そうやって自分たちを追い込むためでもあるんです。

カメラマンの背中に「撮れ高」って書かれていたら、「どれだけ撮れ高の良いものを撮れるの?」って思われると思うんですよ。それってかなりのプレッシャーですよね笑。おかげで名前に恥じないような仕事が出来ていると思います。

番組制作で働きたい人へ

これまでの経歴を教えてください。

まず最初に専門学校に入ろうと決めた時、実はディレクターやプロデューサーを目指して制作の勉強をしていたんです。なので卒業後は日テレ系のTV番組制作会社に入社しました。1番最初に「さんま御殿」の収録に立ち会えた時には感動しましたね!

しかし、実際に自分がいろんな撮影現場を見ている中で、「あの動きが悪いディレクターよりも、カメラマンの指示の方が正しいな・・・。」と感じる場面が多くありました笑。また、実際に制作していく中で、カメラマンが下手で、思い描いたものが撮れないことがありました。それが嫌で、自分でその技術も身につけてしまおう!と思ったんです。

そこから撮影技術の勉強を始め、フリーランスのカメラマンとして活動していましたが、「自分で転機を作らないと、もう一つ上の高みには行けない」と思い、30歳の時に会社を設立し、今で4年経ちます。

 

どんな番組や映像を撮影していますか?

フリーの頃からずっとアイドルライブの収録を担当していて、国内外問わず様々な音楽ライブの収録をしています。会社自体でいうと、日本のアーティストさんはほとんど撮影してると言ってもいいぐらい多くの方にお世話になっています。

バラエティではフジテレビ、テレ東、テレ朝の仕事が多く、テレ東の朝の帯番組などもしていました。

特にどこでどんな仕事をする、と決めているわけではなくて、フリーで活動していた頃にお世話になった方々の縁がそのまま続いて今もやらせていただいているという感じです。

音楽であれバラエティであれ、いつ見ても「あ、このシーンは自分が撮ったカットだな」とわかるようなものを撮影するよう心がけています。

 

会社の強みは何ですか?

今は業界全体がどんどん新しくなっていて【エンタメ×テクノロジー】の時代になっていると感じています。テレビは少しずつ若い世代が離れていって、ベッドに転がって見られるネット配信などのコンテンツに移行していますよね。

TV番組しか作らない会社に比べて、そういった時代の流れに合わせて自由に小回りのきく部分が弊社の強みだと自負しています。

具体的にはまず、生配信に対応しています。現場にインターネットのLAN回線さえあれば、世界に向けて生配信番組を発信できるんですが、一般的に生配信番組の制作には、撮影カメラを扱う技術会社と、撮影データをリアルタイムでエンコードする配信会社の2社が必要なんです。

しかし、弊社ではそれをオールインワンで同時に行うことが可能です。単純計算で、通常2社に支払うより安くなり、質もいいということで今発注が増えています。

次に、撮影機材についても、幅広く対応しています。例えば、テレビでは昔から使われているムービー用のカメラでの撮影が主体ですが、デジタル一眼カメラなど、本来はスチール(静止画)を撮っていたカメラで被写界深度の深い動画を撮影する、という需要が高まっています。

早い段階からスチールカメラでの撮影も、社内で育成していたので、機材的にどちらも必要な現場が求められた時、弊社では1名ですむことが多くあります。

そうやって幅広く事業を広げて育成することで、無駄を省き予算を少なくいいものを作れることが弊社の強みになっていると思います。

作品を作っていく上で必要な要素は何ですか?

ものを作るのは人と人なので、僕はコミュニケーションをうまくとれることが1番大切な要素だと考えています。どれだけコミュニケーションを取れるかによって出来ることが増えていく時代だと思うんですよね。

例えば、あるアニメ作品のライブで、スクリーンに映し出す映像を、「アニメで放送されているMVと同じカット割りで、やってほしい」と言われました。 でも、描かれているままのカメラワークは不可能なんですよね・・・。現実的にありえない角度から映し出されていたり、不可能なスピードで切り返していたり、アニメだからこそできる演出が含まれているんです。

ただライブ映像を記録してほしい、という簡単な発注だと、「それはできません」で終わってしまいますが、会話の中から「アニメと同じものをやりたい!」という熱意を聞ける環境にあると、「じゃあ何とか完成させよう!」という“想い”が生まれたり別のアイデアや次のステップが生まれたりすると思っています。

「人と喋れない」とか、「会話以外で伝えるのが美学だ」っていう考えは淘汰されていくと思います。・・・そういう人意外と結構いるんですよ?笑

そうなるとつい、「返事してください!!」って喧嘩腰になっちゃうこともあります笑。

カメラマンは色々な画角やカメラワークによって作品を作り上げる大切なポジションです。

しかし、ディレクターの指示があるから円滑に進行するし、演者さんとディレクターが打ち合わせしておいてくれるから撮影の本番がスムーズに進行します。

一人一人、違う役割があって、どれも大切で、どんな現場でも皆で協力する事が1番大切なので、作品に関わる全ての人に対して、お互いがリスペクトし合いながらコミュニケーションをとって、クリエイトできるように常に心がけています。

今後挑戦したいことは?

弊社の強みである生配信番組を、今後いろんな場所でどんどんやっていきたいです。

でも、LAN ケーブルをつないでインターネット上に配信しているので、有線なんですね。マリンスポーツやダイビングなんかは、海上や水中からの配信になりますし、ドローンなどを使って空からの配信も、もっと自由にやってみたい。地球上のどこでもきれいにクリアに配信できるような環境作りに挑戦していきたいと思ってます。

あとは、時間をかけていいものを作っていくことと、社員の労働環境を守ってケアしていくことの、バランスをうまくとる、ということも挑戦しています。

世論の、働き方改革などとは真逆のことを言ってしまうことになりますが、エンターテイメントの世界とは、ドラマでも映画でも、納得がいくまで追求して、何回も撮るからこそ、いいものが作れると思っています。

しかし一方で、弊社は国の働き方改革に則っているので、従業員のスケジュール管理はしっかり徹底し、体をきちんと休ませたりメンタル面のケアをしたり、人として大切にしたいという思いもあります。

そのあたりをバランスよくうまく舵取りしていくというのは、挑戦というか、弊社の課題でもあると思います。

 

これから映像の仕事をやってみたい若い人に言いたいこと。

ちょうど弊社の2019年入社の最終面接が先日あったんですが・・・。

「テレビ番組だけを作る会社は受けたくない」とか、「新しいメディアの世界に携わりたい」という子たちが受けてくれているんですよね。それはすごく現代っぽいというか、新しい世代の子たちが来たという感じで好ましく思っています。

ただ、僕的に言うと「テレビは永遠に生き続ける」んだと思うんです。紙媒体である新聞、書籍、雑誌、また、映画などのコンテンツもそうですが、それらは消えないと思うんですよね。あくまでも、それらに追随した新しいジャンルとして、生配信や動画コンテンツが盛り上がっていくというか・・・。なのであまりテレビなのか、そうでないのか、ということに囚われすぎずに、幅広い視野で新しいことを吸収することを楽しいと思えることが大切かなって思います。

結局は、0を1にするのが一番大変な作業だということは、昔から変わらなくて、アイデアが1つ生まれちゃったら、それを2にしたり100にしたりするのは意外と簡単だったりするんです。0の空間で1を生み出す為に頭を悩ましてアイデアを出すのが大変なので、そこに挑戦できる人が映像業界を選んで入ってきて欲しいですね。

 

僕は、「人を感動させる」ということは想像を裏切るから起きると思っています。「絶対ここで起こるだろう」と思ってたことの、逆のことが起きるから心がグラッと揺さぶられて、笑いが起きたり、驚いたり、泣いたり、感情が動くんだと思います。

まだ誰もやったことのない、思いついたことのない、新しい風を、どんどん出してくれるような人材が弊社だけでなく、映像技術業界全体に現れてくれるといいなと思います。

そういうタイプの人は、比較的制作会社に入っちゃうんですよね・・・。監督になりたいとか、プロデューサーになりたいとか。そうじゃなくて、そういうタイプの人こそ、カメラマンになってほしいです!僕が最終的に技術職にたどり着いたように実は行き着く先はここかもしれません笑。

就活生や新卒の新入社員を見て感じること

PROFILE

株式会社撮れ高 代表 外山国義 | 代表略歴 福岡市出身。学生時代にテレビ制作のアルバイトしたことをきっかけに、テレビの制作技術に関心を持ち、都内の大手映像技術プロダクションに入社。退社後は多彩な映像知識と、制作部に親身な姿勢でフリーランスとして実績を大きく伸ばし、2016年5月に同社を設立。