バブル時代の象徴、「ジュリアナ東京」が大阪に誕生!

「ジュリアナの祟り」リーダー江夏亜祐がオーナー神田健二さんにその誕生秘話をお聞きした!

ジュリアナ東京が大阪に誕生!ジュリアナの祟り江夏亜祐がオーナーを直撃

なぜ大阪なのに「東京なのか」

江夏亜祐(以下E):この度大阪にジュリアナ東京というクラブを作られましたが、なぜ「ジュリアナ東京」だったのでしょうか?

神田健二(以下K):ジュリアナ東京は昔から憧れのクラブでした。

僕は大阪だったし若くお金もなかったので行きたかったけれど断念しました。それがずっと心残りやったから、自分でクラブを再開することになった時に、次はジュリアナにしようと決めてました。「ジュリアナ東京」というのは一つの商標、ワンワードですから東京を外して大阪にすると全然違う部類になるので「ジュリアナ東京ディスコティックサルーンin大阪」という名前にしたんです。

E:内装にかなりこだわったと伺ったんですが?

K:商標の権利を持っている東京の会社の会長さまが、何回か僕の店に来られて、その時にジュリアナカラーというのはピンク、紫がベースだから、できたら紫をメインで持ってきてくれたら嬉しいと言われました。シャンデリアもできたら大きいものを作ってくれへんかと言われ、知り合いにごっつい(すごい)シャンデリア作ってもらってますが、天井の荷重と合わず、過去に東京で事故があったこともありますから今、設置については調整中です。それでシャンデリアじゃなくミラーボールを回転させる形に変えました。

ジュリアナ東京入り口の大きなシャンデリア
ジュリアナ東京入り口の大きなシャンデリア

E:オープニングのこけら落としにバブルガムブラザーズさんが出演したそうですが、そこにもこだわりがあったんですか。

K:バブルガムさんもここ最近復活したと聞いたので、それならジュリアナと同じく復活で一緒に頑張ろうという事で呼んでもらいました。

E:かかっている音楽や呼んでいるDJにはこだわりがあるんですか?

K:今の若いDJはHIPHOPしかかけへん。でもここはディスコとかユーロビートとかをかけたいんでDJは50代くらいの人を4人くらいいれてます。その人たちがちょうどマハラジャやジュリアナ東京のDJやから、その人たちはオールミックスで昔のも今のもダンクラもかけられる。音楽にもこだわって90年代の音楽をメインにかけるようにします。ジュリアナ東京のメインの音楽は1日3回くらい。俺も詳しく音楽は知らないんだけど洋楽。「ジュリアナトーキョー!」っていう叫び声が有名なジョン・ロビンソンさんて方がその謳い文句で一世を風靡して東京ではメインDJになったんです。

E:今後の展開としては何かありますか。

K:平成が今年で終わり。ジュリアナ東京は平成の最初に流行ったクラブやし、これをいま復活させとかな、20年後誰かがやるといったところで、日本に元気あった時のクラブの知名度が消えてる話やから。登美丘高校の女の子らがバブリーのダンスで一世風靡してくれたし、ちょうどジュリアナとかで遊んでた人たちが子供さんも大きくなって手が離れて、第二の人生遊べる場が欲しいという話を貰っていて、カラオケも面白くないし、大阪はディスコがないし、クラブ行っても若い子しかいないし、面白いクラブないってというのは聞いてたから。それでもっと落ち着いたクラブでもやってみようかなと、一回チャレンジしようとジュリアナ東京の商標を持ってる東京の会長に何回か会いに行きました。そこで、僕が先方の名前に傷をつけないような人物かについての精査をして頂き、信用して頂いて第一号店オープンさせて貰いました。

ジュリアナ東京ではミラーボールや大きなスクリーンを多用
ジュリアナ東京ではミラーボールや大きなスクリーンを多用

E:大阪の人たちの反応はどうでしたか?

K:(笑)昔のジュリアナのスタッフOBの人たちから、なんで大阪やねん、東京でやれへんねんという批判の声もでてん。それはしゃあないもんね。それやったらそのOBの人たちが東京でやったらええねん。でも会長としてはこのまま眠らせておくわけにもいかへんし、元気な人にやって欲しいと思ってるからって言われることやからな。これ多分20年後ジュリアナやる言っても、ジュリアナ?大昔そんな話あったなとなってなるしね。

E:あの頃の日本は本当に元気でしたね。

K:今の若い子をどうこう言うわけじゃ無いけど、ジュリアナの時代の人って元気ですね。パワフル。入場料無料にしたのも、その時の年代の女の人が集まって欲しいから。踊りたくても家庭の事情もあるから、千円2千円でも苦しい人もおるし、余裕のある人もおると思うんですよ。でも女の人が遊びに来てくれたらみんな盛り上がるなと、だから女性は入場無料にしてます。

やっぱりジュリアナ東京といえばお立ち台
やっぱりジュリアナ東京といえばお立ち台

E:社長はもともと資産家だったんですか?

K:いやいや僕は初めダンプ乗ってました。学校も中卒後夜間学校です。中学出てから高校行く時に、お金が好きだったから働きたいという願望があって、建築現場で働いてお金稼ぎたくて、母親は高校ぐらい出ておけと。俺は働きたい。そうして両方の意見を通して昼は働いて夜定時制に行くわと。昼間は現場で働かしてもらって、ドロドロになって電車に乗って都島行って。帰りは都島から電車で帰って、疲れて寝てしまって寝過ごして終点まで行って起こされたりで、4年間で卒業しましたけどね。

E:そのころがちょうどジュリアナ東京の頃ですか。

K:僕が22、3ぐらいの時だったと思います。夜間学校を卒業してマハラジャに行って、ジュリアナも行きたかったけど18の時に卒業したと同時に一人目の子供ができて、結婚して、その時19歳で卒業したと同時に働いて家庭を持って、そのあと四人生まれて、四人目の時は 24、その時がちょうどジュリアナです。家庭を持たなあかんし家にお金入れなあかんし仕事もせなあかんし、遊びたいけど。 人生20歳から30歳のその10年苦労したら30代40代は結果が出る。その10年は何も言わんとがむしゃらに仕事しろとは親父にも言われてました。20歳から30まではほんまに仕事だけ。

E:すごく一生懸命だったんですね。

K:今の若い人は仕事を選ばんと汚れる仕事もとりあえず頑張って、 財布の中のお金を計算せんと自分のしたい仕事をめがけて行くのが一番いいと思う。

E:最後にひとつだけ。50代40代以上がターゲットという話だったじゃないですか。若いお客さんは狙わないんですか?

K:僕としては昔の人たちを元気づけたいと思うから。細く長くしていきたいんですよね。だから安心できる店ということを売りにしたい。若い子らにも来てほしいけど、実は男性は23歳以上しか入れへんと決めてますね。

E:年齢制限があるんですね

K:たまたま僕がいた時に80代の人が来たけど僕がいない時もそれぐらいの年齢の人来てると思うんですよね。そういう時に若者だらけだとちょっと居心地わるいですよね。若い人が店の前通ると大抵の人は「あ、ここジュリアナだ」と言ってくれますが(笑)。

E:名所みたいな

K:でもその人が入るかって言ったら、今は男性は3500円でちょっとわざとあげてるんですけど、普通のクラブは2000円とか1500円とかなんですよ。若い子は3500円も出して入るのは大変やと思うので少ないので、年齢層の高い人が落ち着いてのんびりできる。

E:大人の遊び場みたいな。

K:健全に普通に遊んでいってくれたらいい。平成の名前も変わるし、平成の最初と終わりにジュリアナを持ってきたつもり。10年後だと「ジュリアナって何?」ってなってるから、また生き返ってくれたら嬉しいっていうのもありますね。女性も男性も家で家事のことばっかりやって、子供を育てて家事しかせんかったら化粧もそんなにせえへんけど、梅田(大阪の繁華街)とか出て行く時は綺麗にしていく。そしたら余計若々しくなっていくやろし。

ジュリアナ東京in大阪オーナー神田健二さん
ジュリアナ東京in大阪オーナー神田健二さん

所有の豪華な船

所有の豪華な船

PROFILE

神田健二|1971年8月30日大阪住吉区生まれ。21歳で起業。現在は不動産業、建売住宅・マンション収益物件、建設解体業、生コンクリートプラントなどを設立し活躍している。

ジュリアナ東京オーナー神田健二さんと車

神田さんとお会いして

インタビュアー江夏亜祐(ジュリアナの祟り)

ダンプの運転手から社長へのサクセスストーリー。平成の最初に流行ったクラブを平成の終わりに再度立ち上げ、日本のエンタメの歴史を風化させないという考え方が自分の音楽史や信念とリンクして非常に共感を得られ、是非今後一緒にお仕事が出来たら、エンタメ業界の活性化が出来たら良いなと思いました。
ジュリアナ東京オーナーとジュリアナの祟り江夏亜祐