「仲直りはしないとね」おぼん師匠インタビュー ~ 昭和・平成・令和を駆け抜ける芸能界のリビングレジェンド ~

テレビ番組『水曜日のダウンタウン』で相方こぼん師匠と奇跡の仲直り後、気になる本当の仲は?
昭和のスポーツやエンタメのエピソードを中心に語るラジオ番組『もっち~&佳代子の昭和ラジオ』のゲストで登場した超一流芸能人のおぼん師匠(おぼん・こぼん)。
高校生からのぶっちぎりのご活躍ぶりや貴重な想い出などを伺いました。

おぼん師匠

おぼん師匠

イベントマガジンBANZAI Vol.59 表紙

イベントマガジンBANZAI Vol.59 新年特別号 冊子版の表紙は、おぼん師匠!
全国のCDショップ、ライブハウス、スタジオ、イベント会場などで無料配布中。
おかげさまで好評につき、より広くお読みいただけるよう、WEB版でもお届けします。

聞き手:久恒基之(日本キャリアグループ株式会社 CEO)、清水佳代子イベントマガジンBANZAI 発行人、株式会社シミズオクト 取締役副社長)

昭和生まれ。小さな時から人気者

久恒:昭和を代表するに相応しいビッグなゲストをお迎えしました。おぼん・こぼんのおぼん師匠です。

おぼん:おぼんでございます。初めまして! 一流芸能人でございます。私が一流でコンビも一流でマネージャーも一流で、合わせて三流でございます!

久恒清水:笑

おぼん:いろいろ語れてこんなにうれしい事はございません。昭和生まれの人間として楽しみでございます。

清水:昭和生まれなのですね?

おぼん:はい、昭和生まれの戦後のどさくさで生まれた団塊の世代でございますので。

清水:おぼん師匠は大阪市内の下町・道頓堀のすぐそばで生まれたんですよね?

おぼん:はい、そこで産湯に浸かったんです。幼稚園ぐらいまでいたかな。それからその辺は歓楽地になるということで、親が大阪の東住吉区っていう所に引っ越したんです。そこに高校生の頃までいました。

清水:野球もやってらしてスポーツ万能なおぼん師匠は人気者だったとか。学級委員とかも常連だったとか?

おぼん:学級委員まではなかったですが、保健体育の委員とか給食係とかをやっていましたね。

清水:そしてスポーツの強豪校に進学したということですね。

おぼん:そう、高校の時にね。小学校は大阪市立北田辺小学校、中学校のときは大阪市立東住吉中学校。中学の同級生が昭和のビッグ歌手、あの谷村新司さんなんです。俺が7組かなんかで、あいつが13組あたりだったんですよ。すごいでしょ?

高校は今の履正社高等学校。僕らの時は大阪福島商業高校という学校だったんです。なぜ福島なの? って言われるんだけど、大阪に福島区っていうのがあって、そこにあった学校だから大阪福島商業高校だった。いつの間にか履正社高等学校になっちゃった。

左から清水佳代子、おぼん師匠、久恒基之氏

左から清水佳代子おぼん師匠久恒基之

こぼん師匠との出会い

久恒:こぼん師匠とは、どこで出会ったんですか?

おぼん:高校時代です。同級生なんですよ。初めて会ったのが高校1 年のときかな。彼は子どもの頃から漫才が好きだったみたい。自分のお姉さんとも漫才をやっていて、高校に入って演劇部を作って。それで俺に「一緒にやらない?」ってスカウトしてきた。俺は野球をやってたから「お笑いは好きだけども野球に専念したいので」ってお断りしたんだ。

高校3年になって、修学旅行の時に先生から「何か漫才みたいなのやってくれ」って頼まれて。それで、こぼんが俺にまた言ってきて。俺もほら、高校時代からひょうきん者だったから。もうずっーと喋り続けてて口から腐りそうなぐらい喋り続けてるやつだから(笑)。

で、こぼんがどうしてもやってくれっていうんで漫才をやったんですよ。もう、ドッカンドッカンうけましたよ!

おぼん・こぼんのステージ写真

高校時代に出会ってからの名コンビ

高校生で優勝してデビュー

おぼん:そしたら、こぼんが「今度は素人番組に出ない?」って。大阪に『素人名人会』(毎日放送テレビ)っていう漫才師の西条凡児さんがやっていた番組があって、いきなり初めて出て。修学旅行でやったネタなんだけど、もうドッカンドッカンうけて。

それでカンカンカンと鐘が鳴って。それで今から55年前の当時で賞金1万円。すごいよ! 俺が後に初めて社会人になって漫才始めた時にもらった一か月の給料が1万5、6千円だったのに。それがたった2分ぐらいの漫才で変な事言いながらで、賞金1万円くれたの(笑)。

清水:それって高校生のときですよね? 高校生ですごいですよね!

おぼん:そうよ。その頃ね、第二次漫才ブームだったのかな? それで東京からも、そういう素人番組があるからぜひ出ていただけませんかとオファーが来たの。すごいじゃん? 素人でそうなったらもう超一流じゃん!

スカウトされ東京へ

おぼん:それで「いいじゃなぁ~い」っていうギャグの漫才コンビ・晴乃チック・タックさんが司会をやっていた番組で『しろうと寄席』 (フジテレビ)っていうのがあって出てね。そこでもカンカンカンカン鐘が鳴って、見習い・前座・二つ目・真打と4回勝ち抜いてね。

そうこうしてる間に「プロとしてやりませんか」ってスカウトが来たんだよね。かっこいいじゃんね。それがあの堀越学園芸能コース。すごいでしょ?

清水:高校在学中だったから転校しなさいって言われたのですね?

おぼん:そう、転校しなさいって言われたんだけど、もう残すところ高校卒業まであと3ヶ月ぐらいだったんですね。だから「もう大阪の高校を卒業しますけども、東京の堀越学園の芸能コースに入ります」って、そこの漫才部門の講師として入りました。

上京するも事務所が……

清水:東京に来てからは順風満帆だったのですか?

おぼん:ないないない。当時所属していた事務所が9ヶ月ぐらいで倒産したのかな。外に放り出されて、それからちょっとだけ苦労したね、今思えば。クラブハイツっていう新宿のグランドキャバレーでボーイのアルバイトしたりね。

でも僕らの時代って漫才師ってあんまりいなかったんだよ。今は東京だけでも漫才師はものすごく沢山いるよね。あの当時は若手の漫才コンビは10組もいなかった。だから僕らの需要はいっぱいあった。漫才で本当にいろいろやってきたね。楽しかったなぁー!

生放送中のおぼん師匠

生放送中もお茶目なおぼん師匠

伝説のレストランシアター 赤坂コルドンブルー

久恒:昔はキャバレーというかレストランシアターみたいな所で高級レストランみたいなフルコースが出てくるというのがあったんですよね?

おぼん:うん、赤坂コルドンブルー(かつてあったレストランシアター)っていう所は、フランスのカジノ・ド・パリ(1730年設立の歴史ある劇場)のように一流の芸人やダンサーやコメディアンが出て来るショーをしていたんです。

コルドンブルーはいろんなスタッフも一流なんだよ。後に日本テレビの局長になった方とか、振付師の小井戸秀宅さんとかね。あと音響照明とかも日本で有数の人たちがスタッフでいるわけ。だからね、コルドンブルーはものすごく勉強になったし楽しかった。

そこに僕らはオーディションで受かって21歳から31歳まで10年間出ていたんだけど、まあすごかったね! フランス料理のコース料理を全部食べられて、そこに座るだけで黙ってても3万円から5万円で1時間のショー付きなんだけど。

観客も超一流! ジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんも

おぼん:ゲストも前田美波里さんとか小林幸子さんなどの有名人がいろいろ出てらっしゃったんだけど、お客様がまたすごくてびっくりする。僕らがレビューショーをやっててぱっと見たら、オノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんがお客さんでいるわけ。

僕らがコントするじゃん。そしたらオノ・ヨーコさんがジョン・レノンさんに通訳して、ワンテンポ遅れてジョン・レノンさんが「アッハッハッハー」って笑うの。すごいと思わない?

そういう経験をして。物凄く良い人で。もちろんサインもらったけど。俺多分ね、日本のコメディアンで、ジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんを笑わせたのは、おぼん・こぼんが初めてだと思う。

あとはね、アイク&ティナ・ターナーとかモハメド・アリさんとか。アダモさんとかね。そういう世界の超一流の芸能人がそこにお客さんとして来られてた。そんなところで10年間も経験したの。勉強になった!

笑うおぼん師匠

久恒:すごいです。いやーもう話を聞いてるだけで勉強になりますね。

ジュディ・オングさんから英語の指導を

おぼん:英語の歌もそこで1ヶ月に1回歌わされるの。タップダンスして楽器演奏して。俺らが英語の歌を歌うんだけども、ただヒアリングするだけではTHがべろ噛むとか、RとLとかの発音わかんないじゃん。

それで例えば『マイウェイ』とか歌ってても「あんたたち何言ってるかわかんない」とか言われてね。そりゃそうだよ、発音なんてわからないし。

お客様でジュディ・オングさんがお母さんと2人でよくいらっしゃってて「よかったら私が英語を教えてあげるから、家にいらっしゃい」って。それで1ヶ月に3、4回行ってジュディ・オングさんに英語のレッスンを受けた。

だから今は僕らが歌う英語の歌はだいたい外国人の方が聞いてもわかると思うんだわ。

借金してまでラスベガスへ。最高のショーを勉強

清水:こぼん師匠と2人でラスベガスに行ったっていうお話も聞いたんですが?

おぼん:うん。コルドンブルーに出ている時に「あんたたち、そういうショービジネスが好きだったら、本場のラスベガスのショーも見てらっしゃい」って言われたんだよ。

それが22歳ぐらいの時でお金ないじゃん。そのときにその人が「私が全部貸してあげるから」って言うので、借金してラスベガス行きました。

感動したね、やっぱあの当時のラスベガス。今のラスベガスはなんかサーカスみたいな感じだけど、昔のラスベガスは本当のアーティストがショーをやってらっしゃったの。フランク・シナトラさんとかサミー・デイヴィスJr.さんとか。

俺らが初めて行った時に、アン=マーグレットさんとジェリー・ルイスさんが二人でショーをやっていたの。もう、本当にかっこよかった! ジェリーさんはコメディアンでしょ。それがね、2人で歌ってハモって踊ってショーをやるわけ。すごい勉強になったね。

清水:すごいですよね。私が浅草フランス座演芸場東洋館でおぼん・こぼんのステージを拝見させていただいた時も、タップダンスや歌もあって漫才やってという内容でしたよね。ラスベガスのショーじゃないですけれども、それをちょっと短くしたみたいな感じを受けました。

おぼん:そう。そういった辺りをラスベガスやコルドンブルーで勉強してきたわけです。

『お笑いスター誕生!!』でぶっちぎり勝ち抜き

おぼん:で、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)という番組があって、僕らが10週連続勝ち抜いたの(1980年)。

久恒:見てましたよ。あの時、ぶっちぎりでしたよね!

おぼん:そうですよ。10週連続で落ちもしないでストレートで。僕らの前は漫才コンビのB&Bが最初のグランドチャンピオンで、ストレートで優勝して番組を卒業していって。僕らは2番目の10週連続勝ち抜きグランドチャンピオンですね。

その後に今は俳優のでんでん君とか、とんねるずとか、コロッケ君とかいろいろ入ってきて。そういう人たちが大スターになっていったんだけど。

赤坂コルドンブルーにとんねるずを紹介

おぼん:僕らが『お笑いスター誕生!!』グランドチャンピオンになり、テレビの仕事が忙しくなってコルドンブルーを降りたときに「誰が若手のいいのいない?」って言われて、とんねるずを紹介したの。彼らも一生懸命やってたけどね、半年ぐらいでクビになって。

でもね、クビになってよかったね、その後にフジテレビに出て生放送でテレビを壊したりして(笑)日本の大スターになったんだから。コルドンブルーは踏み台じゃないけども、落ちてよかった、クビになってよかった。だからこれも運命よね。

あの仲直りから1年

おぼん:『東京漫才』という本を出したんだけど、僕らが生きてきたことが大体書いてある。読んでいただければ、ああ昭和だなーというのがわかる。僕おぼんの喋ってることと、こぼんの喋ってることがそれぞれ載っているのよ。

清水:私も読みましたけど、すごく面白いです。

おぼん:テレビ番組『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)で、コロナ禍の影響でちょっと番組が延びたんだけども、こぼんと仲直りしたのよ。それが2021年10月6日かな。

今からちょうどあれから1年経つんだね。57年間コンビで漫才やってるけど、何回も喧嘩して10年間も口きかなかったんだ。

清水:そんなときもあったんですか。

おぼん:全くネタ合わせしないし、目線の合わない漫才コンビで浅草界隈で有名だったんだよね。『水曜日のダウンタウン』で仲直りしなさいよって言われて仲直りしたんだよ。まあ一応は上っ面だけどね(笑)。

『水曜日のダウンタウン⑪ おぼんこぼんSP』を持つ、おぼん・こぼん

仲直りの様子は『水曜日のダウンタウン⑪ おぼんこぼんSP』としてBlu-rayやDVDになっている。

仲直り後、本当の仲は?

久恒:私には運命の人で親友がいるんですけど、今は疎遠になって連絡も取れない状態なんですけども。

おぼん:いかんよそれは。おぼん・こぼんみたいに仲直りはしないとね。

久恒:そうですよね。ところで、こぼん師匠との仲はその後、本当の仲はどうなんですか? 本音は?

肩を組むおぼん・こぼん

仲直り後は仲良し!?

おぼん:いや本当に嫌いじゃないのよ。あいつは芸に対してあんまり貪欲じゃなくて、与えられたものを完璧にやるタイプなのよ、57年間ずっとね。

清水:ネタはおぼん師匠が作るんですか?

おぼん:だいたい俺が、あれやろうこれやろう、もうそろそろ10周年とか25周年だから何か記念のコンサートやろうとかは全部俺。こぼんは一切何もしない。俺はただひたすら、お金出して走りまくってるんだ。

こぼんは与えられたものを完璧にやるのよ。でもそれじゃ芸人としてつまんないじゃん? そういう所が嫌いで、時々堪りかねて喧嘩する。

清水:あ、やっぱり嫌いなんですね(笑)。

おぼん:まあそういう言い方はしないけど(笑)。でもまあ本質的には、こぼんに誘ってもらってこの芸能界に入ってるんだし、その感謝はある。あいつと知り合ってなかったら、俺は芸能人になってないかも知れないし。

久恒:仲直りする前の最後は大喧嘩しちゃったんですか?

おぼん:大喧嘩でもないんだけども、俺が嫌になっちゃった。俺ね、家のローンとかゴルフ場の失敗とか、離婚して子どもが2 人いたからその慰謝料とかも、ありとあらゆる借金を1ヶ月に200万円ぐらい払ってた。よく返せたよ、漫才で稼いだ稼いだ。

それが今から10年ほど前に借金が全てなくなったの。それで「よし自由になってやろう!」って、こぼんとどんどん離れていって疎遠になった。

久恒:おぼん師匠は何回かご結婚されてますよね?

おぼん:趣味が結婚、特技が離婚。

久恒清水:(笑)

おぼん:なんてね(笑)。そうです、19歳と26歳の時に。3回目の結婚が30歳前ぐらいで今の奥さんで41年間かな。運命の人にやっと会えた。あのね、今離婚に悩んでいる方、他にいい人がいるかもしれませんよ。

歴史ある浅草フランス座東洋館

清水:私がおぼん師匠と初めて出会ったのは浅草の仲間たちのパーティーみたいな所で。それから早速、浅草フランス座東洋館を紹介していただいて、いろいろなお部屋、例えばビートたけしさんが住んでいた所とか見せていただいて。おぼん師匠のお名前を出したら、すぐ連れて行っていただけました。

おぼん:そう。東洋館は浅草の演芸ホールの4階にある。元々はストリップ劇場だったね。そこでエレベーターボーイとして、たけしさんがちょっと住み込みで働いてた部屋もある。見たでしょ? 三畳ぐらいの部屋でね。そこにちょっと居たかな。

清水:たけしさんの自伝的な小説『浅草キッド』にも出てきますよね。

おぼん師匠と浅草のご縁は?

清水:おぼん師匠も浅草にはすごく縁があると思うんですが、浅草とはどのようなお付き合いですか?

東洋館の前のおぼん師匠おぼん:東洋館は一般社団法人漫才協会が定席として1日から19日までお借りしてやってるの。生の漫才ってやっぱり面白いよね。

清水:安心して座って見られる小屋ですよね。

おぼん:うん。キャパが200人ぐらいの小さい小屋なんだけど、あたたかい雰囲気はあると思う。だから一度来ていただいたお客様がリピーターになって下さったりして。面白いところですよ、ぜひ皆さん来てちょうだいよ。

清水:おぼん師匠も月に何回か出てらっしゃるんですよね。

おぼん:だいたい月に4、5回出てる。ほいでね、頭から見ると、12時半から17時までやってて2500円。4時間半ぐらいで安いと思うよ。

こんなこと言っちゃなんだけど15時回ると割引で1500円になる。だから1500円で一流芸能人を観られるのよ。

久恒:しかも一流芸能人のおぼん師匠がそこに混じっているわけですか?

おぼん:そうなんです。何回も言ってんじゃん、俺が一流、こぼんが一流でマネージャーも一流って(笑)。

浅草は今盛り上がっている!

浅草寺の前でおぼん師匠おぼん:今浅草はものすごい盛り上がってるから。俺たちが若い頃は浅草は夕方16時過ぎると人っ子一人歩いてないぐらい本当に人がいなかった。だから今の盛り上がりは本当にすごいよね。ぜひ浅草に来て欲しいな。

久恒:ぜひ皆さん足を運んでいただきたいですね。
おぼん師匠に対して言葉が悪いかも知れませんけれども生まれる前から面白い男”を今日初めて見ました。いやびっくりですよ。

おぼん:もっと言って!

久恒:いやもうびっくりしました。このために生まれてきたのかという感じですよね。

おぼん:また呼んでね!

久恒清水:ぜひ。どうもありがとうございました。

生放送後に。左から清水佳代子、久恒基之氏、おぼん師匠

放送後にパチリ


INFORMATION

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著者:おぼん・こぼん

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『水曜日のダウンタウン』で奇跡の〝仲直り〟を果たした超絶〝不仲〟漫才コンビ、初の自伝的回顧録!

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PROFILE

おぼん師匠のプロフィール写真おぼん。漫才コンビ『おぼん・こぼん』の大きいほう。主にボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。本名・井上博一(いのうえ ひろかず)。1949年2月2日生まれ。大阪府出身。1965年、大阪福島商業(現・履正社)高校在学中に同級生とコンビ結成しデビュー。高校生漫才師として注目を集め、『うめだ花月』などに出演。

上京後、都内の演芸場やキャバレー、レストランシアター・赤坂コルドンブルーなどのステージで活動し人気に。1980年、オーディション型テレビ番組『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きチャンピオンになり、売れっ子コンビに。漫才ブームを牽引した。

テレビの演芸番組や浅草東洋館を中心とした演芸場などへ長く出演し続けている。お笑い界で最も不仲なコンビとしても知られ絶交状態だったが、2021年、テレビ番組『水曜日のダウンタウン』に出演したことをきっかけに奇跡の仲直りを果たした。

公式Twitter https://twitter.com/fg1cq03oSpM70eR


『もっち~&佳代子の昭和ラジオ』レインボータウンFM 88.5MHz

『もっち~&佳代子の昭和ラジオ』のロゴ

昭和のスポーツやエンタメのエピソードを中心に語るラジオ番組。パーソナリティ:久恒基之日本キャリアグループ株式会社 CEO)、清水佳代子(イベントマガジンBANZAI発行人。株式会社シミズオクト 取締役副社長)。
毎月第2木曜22:00~22:30放送中! リスラジやサイマルラジオで全国どこでもお聴きいただけます。
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